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  • 2018/12/03

    昔の防火対策

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    防火ドアが登場する以前、人々はどんな方法で防火対策していたのでしょうか?実は戦国時代ころには耐火性のある素材が知られており、江戸時代になると民間にも普及しています。今回は、江戸時代に広まった防災設備とともに、戦国時代以前からみられる防火素材の使用例もご紹介します。

    江戸時代に防火機能を発揮した設備とは?
    まだ防火ドアが存在しなかった江戸時代に防火機能を発揮した設備のひとつが、漆喰の塗られた土蔵です。

    <漆喰とは?>
    漆喰は、本来、水酸化カルシウムを主原料としてつくられます。水酸化カルシウムは消石灰とも呼ばれ、かつて学校のグラウンドに白線をひくとき使われていた白い粉末です。サンゴの化石や石灰岩を塩で焼き、そこに水を加えると生成されます。
    水酸化カルシウムに、海草でつくった海苔や麻の繊維を混ぜたものが本漆喰です。そのほかには、海苔でなく稲ワラを混ぜる「土佐漆喰」や「琉球漆喰」もあります。

    <漆喰の効能と利用法>
    漆喰は耐火性と耐水性ともに優れ、江戸時代には大切なものを保管する土蔵の壁に塗る手法が普及していました。よく火災に見舞われた江戸の町では、壁に30cm以上の厚さで漆喰を盛っている土蔵が少なくなかったといわれています。
    同時に、土蔵の土壁は通気性がよかったので防カビ効果にも恵まれました。漆喰と土壁により火事とカビから守られた旧家の蔵では、後々、保存状態のよい品々が発見されることも珍しくありません。

    耐火性を見込んだ漆喰利用の歴史
    漆喰の優れた耐火性は、すでに戦国時代には知られていました。その好例として、城郭建築が挙げられます。

    <漆喰を利用した城郭「姫路城」>
    姫路城は、現在の兵庫県姫路市にある城郭です。その始まりは南北朝時代と考える説が有力ですが、戦国時代後期から本格的な城郭へと変貌します。現在でも江戸時代以前の天守が残り、1993(平成5)年には世界遺産に登録されました。
    この姫路城の別名が、「白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)」です。江戸幕府が開かれる直前の1601(慶長6)年に、大改修が実施されます。その当時から壁や瓦の継ぎ目に漆喰が塗り込められ、城全体は白く見えたという話です。

    <漆喰は古墳にも使われていた>
    さらに古い時代の使用例が、色鮮やかな壁画で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳です。築造年代は飛鳥時代と考えられ、有名な絵画は漆喰が塗られた上に描かれています。
    なぜ漆喰が使われたか、理由は定かになっていません。とはいえ、貴人の遺体を守るためと指摘する声が聞かれます。もし漆喰が防災機能を期待されていたなら、日本ではその耐火性が古代から知られていたことになります。

    まとめ
    戦国時代に建造された城郭や江戸時代の土蔵は、防火を目的として耐火性のある漆喰を壁に塗る方式が広まっていました。古代に残された古墳の漆喰も、防災のために使われていたかもしれません。防火ドアのない時代から、いろいろな場面で防火対策は欠かせなかったと理解できます。

    ※掲載内容は予告なく変更される場合がございます。予めご了承願います。

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